魔法はある。
 それを受容してしまってから、やえなの硬さは急変した。剣を除き世界で唯一彼女が興味を覚える事といったら、空の浮島だけだ。そして魔法はそこへ至る何よりの鍵なのだ。
 一変して貪欲に質問を繰り出すやえなに、少女もさすがに驚いていたがすぐに慣れてしまった。むしろ自分の知り得る情報を放出する事が楽しいようで、時には聞かれてもいない事までよく喋った。
「あなたを目覚めさせたのはどんな魔族?」
「素性は知らないよ。なんか真っ黒な服着た、いかにも悪いヤツって感じのおじさん。わけあって家出してきた私をずっと見てたとか気持ち悪い事言ってね、でも私にだけはいい人っぽかったから協力してあげた」
「協力って何?」
「魔力の目覚めを与える代わりに、私の力に引き寄せられてくる目覚めた地上人を我々の下へ送れって」
「地上人って? 魔族は魔族以外の人をそういう風に呼ぶの? それに我々って……」
「ああはいはい、一個ずつね。詳しくは聞いてないけど、そうみたいだよ。目覚めてない人間は地上人らしいね。我々って言ってたのも、他につるんでる奴らがいるからだね。あのおじさんの仲間、見た事あるもん」
「その魔族は他にも仲間がいるんだ……。で、なんでそんな事をあなたに頼んだの?」
「さっきも言ったけど、目覚めた人って無意識のうちに魔力の匂いがする人の下に集まっちゃうんだよ。花の蜜と虫みたいにね。私が花。あなたが虫。私は花として凄く有望なんだって。
 で、私はこの与えられた剣であなたをちょっとでいいから傷つける。すると剣に込められた力が発動して、血の持ち主がそのおじさんの下へ送り込まれる。その後は、あれよ。目覚めを与えた魔族の情報と魔力をズタズタにしながら吸い上げて、プッチンって」
「……殺すの」
「うん。私のとこには死体だけ戻ってくるって仕組み。だから犯人は私じゃないんだよ」
 気分が悪くなる話だ。にこにこと笑う彼女は顔だけを見れば愛らしいが、言動が相変わらず物騒なために不気味さしか感じられない。が、それは表情には出さずに、やえなは頭を回転させる方向に集中した。
 彼女の言う仕組みが全て事実なら、どうしても理屈に合わない事がある。
 自身の肩から腕を指さしながら、やえなはどうしても分からない事を尋ねた。
「じゃあ、昨日ここ斬られたのに、私には何ともなかったけど」
「うん、そこ私すっごくさっきから言いたかったの」
 少女は目つきを改めてやえなを見上げるが、その変化も芝居がかった大げさなものだった。
「あなた、ただ目覚めただけの魔族じゃない気がする」
「…………」
 当たり前のように魔族と呼ばれる事に違和感は覚えたが、嫌悪は感じなかった。その自分の柔軟さが、今のやえなには有難かった。
「目覚めただけで、あのおじさんの力を受けたこの剣の作用を相殺なんてできるわけない。あなた何か魔法のカラクリでも仕込んでるの?」
「……知らない、そんなの」
 魔法ですらたった今受け入れられたばかりの話なのだ。未知の力について逆に追究されても、こちらが困るというものだ。
「ふうん、そう。ねえ、もう質問はないの?」
 やえなが久しぶりに黙ったのを見て、少女は急に興味を失くしたような声を出す。開きにされてはたまらないので、やえなは話の間あたためていた問いをよこしてみる事にした。
「ディムグロウスって人知ってる?」
「ん? ディムグロウス?? さあ……」
 嘘をつかれても見抜ける眼識が自分にない事に、やえなは答えを聞いてから気づいた。あっさりと終わってしまった受け答えを延命させるべく、今度は最も謎に満ちた問いを渡した。
「何故、そんな秘密を簡単に私に喋ったの?」
 異様なほど静かな、不自然な沈黙が降りた。一瞬でしかなかった間であるのに、その空白は二人の立場を逆転させてしまったかのような意味深長なものだった。
 深く目を伏せた少女の真っ黒な睫の下で、真紅の瞳が影にくすぶる。問う事を許されていた立場であったはずのやえなが、もうこの時には尋問する側にまわったかに思えたほどだ。
「私ね、やり直したい……」
「え?」
「私ね、やり返したいの。そいつはね、立派な騎士様になって、私を止めにきたの。子供の頃ね、そいつ、私に酷い事をしたの。そんな奴が隊長って呼ばれてるのに我慢ならなくて、私、目覚めてなかったけどそいつ殺しちゃった。最後の奴をばっさりやった時ね、私、もういいやって思ったの。でもあいつは、この仕事をやめる事を許してくれなかった。ようやく気付いたの。みんな殺して自由になったと思ったのに、私は今度はあのおじさんに自由を奪われてしまったって」
 流れるように語られる少女の過去は、壮絶ながら断片的かつ抽象的だ。彼女の主観では全てつながっているだろう言葉の羅列は、やえなには当然有意のものに聞こえない。回答一つ一つを全くはぐらかさなかった彼女が宙を見るような目で滔々と話すと、突如発狂したようにも見えた。
「自由っていいよね。自分の力で手に入れた自由だとなおさら。私、もう一度自由になりたい。あんたほど強く目覚めた魔族、初めて。それに剣の腕も凄い」
 これまでだ。
 やえなの中で、彼女の勘が一言、そう教えた。
「だから、お願い。あいつを殺して」
 その片目が、黒に変わっていた。
 答える間もなく、疑問を抱く間もない。頭が状況をつかむよりも先に、やえなの腕は独りでに動いて長剣を抜き取った。
 次に手に伝わったのは、震えるような衝撃。そして耳には先程も聞いた甲高い音。
 恐ろしく久方ぶりに、やえなの目の中に戦慄が揺れた。
「何を……」
 聞くまでもない。刀身の先の方を例の短刀で叩かれただけだ。それなのに自身の手から剣が離れ、上に飛んだ。やえなの新緑の剣は回転しながら土へと吸い寄せられていき、示し合わせたように草の中に突き立った。
「私にお願いなんてしなくても……」
 人生で初めて、やえなは自らの震える声を聴いた。
 彼女は強い。自分など途方もなく敵わないほど強い。これほど戦闘に長けた人間を知らなかったやえなは、その未知数の領域に、剣士としての戦慄を覚えたのだ。
「あいつは私でも倒せない。仲間もいるかもしれないの。でもあんたが力を使いこなせるようになれば、きっと跡形もなく殺れる」
「でも、その剣の力は……」
「あいつの下に行く方法なら他にもある。だからお願い、私を自由にして! もう嫌なの、誰かの下に置かれるの!」
 少女も必死だった。むき出しの叫びに、やえなはどう答えたらいいのか戸惑う。
 この少女でも敵わない魔族との戦いに巻き込まれるのは嫌に決まっている。だが、この追い詰められた少女の様子では、少しでも断る素振りを見せれば激昂しかねない。
――まだ、死ぬわけにはいかない。せっかく重要な情報がつかめたというのに。
 丸腰のまま最善策を探るやえなの耳に、その声は届いた。
「やえな!! 取れー!!」
 何かが、風を切り裂く快い音が飛んできた。


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