「旅剣士」
 間髪入れず、簡潔な返答にレオンハルトはやっぱり、と苦々しい気持ちになった。短く答えて、後は何も言わない。やえなが聞かれたくない事を聞かれた時のかわし方だ。平生の自身の無口さに巧く真相を隠して、やり過ごしてしまうのだ。
 自分の身の上は、何としても言いたくないらしい。自分はとんでもない人間の下に、身を寄せてしまったらしい。重苦しい不安が再び、レオンハルトの胸に込み上げてきた。
「それにしては常識を知らな過ぎるな」
「田舎から出てきたばかりだから」
「にしては金持ちだよな。二人養ってまだ足りるほどの路銀、田舎でどう調達したんだ?」
「……何が聞きたいの」
 やえなの鋭利な目に刺されると、見慣れているはずの彼でも息が詰まる。
「さっきだってそうだ、なんで大出世のチャンスを棒に振る真似をしたんだ? お前、本当は旅剣士じゃないんじゃないのか? 一体何があって魔族なんかに会いに行くんだ?」
「聞いてどうするの」
 間をおかず、質問でやり返す。この手口で話を逸らせようとしているのだと、今のレオンハルトにはわかる。
 その姑息なやり方が、悔しくなった。絶対の秘密を抱えられる事が、悲しくなった。いくらやえながそういった性格だとしても、彼にはその拒絶が許せない。剣の先生と目した人に他人行儀にされる事が、自分にはこの上なく辛いのだと、レオンハルトはようやく理解した。
 理解した途端、自分でも信じられない事に息が苦しくなった。呼吸にこもる熱は、涙の前兆だ。
「今は俺があんたに質問しているんだ! 答えてくれよ……」
 懇願する声音を必死に押し隠すも、言葉に出た想いは隠しきれなかった。やえなの気配に訝しげな動揺が現れる。
 信じなければいけない、そう思った人を信じられない。その矛盾が、実直なレオンハルトの性根を削り取っていく。沈黙すら、彼にとっては針の平原だった。
「なんで答えなきゃいけないの?」
 低くなったやえなの声に、今度は怒りが沸き起こった。軽く見られている事が、我慢ならなかった。怒りに任せて振るう剣など邪道だと、自らを諌める静けさなど彼には寸分も蘇らなかった。
「!!」
 レオンハルトの右手がつかんだ柄が、ぴたりと止まって動かない。
「私に剣を抜くつもり? それがどういう意味か、わかってるよね?」
 激情に任せ、引き抜こうとするが、やえなは彼の持つ柄頭を握りしめて離さなかった。力が入っているようには見えないのに、やはりレオンハルトの刃は押しとどめられたまま鞘から飛び出す事が叶わない。
「やめな、ハルト。死ぬよ」
「…………」
 棘を放つような視線と言葉に、視界がにじむほどの悔しさを覚える。
 そうだ。どうせ自分はこの人に敵わない。いい加減で大事な事は一つも明かしてくれず、それなのにレオンハルトが会ってきた剣士の中では間違いなく一番強い。
 その強さを見抜いたからこそついてきたのに、今はその力が妬ましくて、苦しい。
「どうすれば、いいんだよ……」
 信じなければいけないのに、信じられない。そんな自分が、酷く醜いものに思える。そこに弱さへの劣等感まで呼び起こされたレオンハルトは、遂に耐えられなくなった。
「えっ」
 それは、レオンハルトの声ではない。それまで不動だったやえなの、かすかに漏れ出た空気の音だ。
「ハルト……!?」
 情動に乏しく、たまにそれを表に出せば間違いなく意外な顔をされる。そういう人間であっても、やえなに一切の感情がないわけではない。
「……くっそ……」
 彼女の目の前にいるのは、俯き、眉を寄せて粒となった涙を落とす少年。いつもの彼なら恐らく、情けない姿を晒したくないと意地を張って堪えようとするだろう。なのに、レオンハルトは泣いている。いつの間にか柄から降ろした手を体の横で握りしめ、幼げな容姿に更に幼さを浮かべて立ち尽くし、泣いている。
「何を……そんな……」
 思いもしなかった彼の態度に、やえなは動転した。涙に浸るレオンハルトですら、一瞬目を上げたほど彼女はうろたえた。
 波の少ない、ゆったりとした会話に慣れきった彼女には、泣くなどという激しい感情表現を受け止める土壌がないのだ。むき出しの想いを言葉でない手段で投げつけられた時、やえなはどうすればいいのかわからなくなってしまう。平素の無感情さで受け流す事ができない。
 万人にとって想定外な事に、この非情にもなれる女剣士は、泣き落としにめっぽう弱いのだった。
「何だよ……、お前が隠し事したせいだろっ!」
 そのような彼女の弱点には気づいたのか気づいていないのか、レオンハルトは当たり散らすようにやえなを詰る。そのはずみで再び大きな雫が空色の瞳から零れ落ちるのを、やえなは愕然としたまま見つめた。
「ご……めん」
「……は?」
「ごめん。ごめんってば。何を言わなかったのが悪かったのか、私にはわからないけど、でも泣かれると困る。言ってほしい事があるならちゃんと話すから、それはやめて」
 やえながこんなにも口数を増やすのは初めての事だった。だけでなく、似合わないほど早口で、おかしいぐらいにうろたえている。
 自分の状態も忘れてレオンハルトは吹き出しそうになった。が、それを思わぬ形で封じられる。
「私が悪いみたいになるから、泣かないで。これぐらい……ほら、自分でこうやって拭いてよ」
 レオンハルトの涙の滲む頬に、小さな細いものが当たる。それが人の指である事に気づくと同時に、やえなのか細い指の背がゆっくりと新しい涙を受け止めながら目尻までのぼってくる。
「なっ……なっ……!!」
 呆然となったレオンハルトにもお構いなしに、やえなは今度は逆の目から流れる水を親指で拭う。
「これぐらい自分で……」
「うわああああああっ!!!」
 大きくのけぞったレオンハルトは、見事な音を立てて後頭部を木の幹に打ち付けた。


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