「聞きたいことが山積みなんですが」
 レオンハルトを本来の方向に寝かせ直すと、やえなは座る間も惜しんで切り出した。
「待たなくていいのかい?」
 ディムグロウスの方もまた、口では彼女の連れを気遣う一方で、小屋の隅にあるテーブルに寄って椅子を引いた。
「聞かせない方がいいです。……聞かせたくない」
 面倒だから。
 言葉にされない理由が一番大きいことを彼は悟ったが、何も言わずに肩を竦めた。
「座ってくれ。ゆっくり話そうじゃないか」
 腰かけながら、片手で対面する椅子を示した。
 やえなは、さっと近寄ってきて、椅子を軽く持ちあげた。黒く長い髪が緩く膨れて、年若い魔族が話し合いの席につく。
 ディムグロウスは首を傾げて質問を促した。
「目覚めって、何ですか」
 単刀直入なものだと、心で苦笑する。
「もう経験しているなら、わざわざ尋ねることもないと思うが」
「それでも聞きたいんです」
 そして、物静かなようで強情。遥か昔の友人の因子だ。
「……君がどこまで知っているかはわからない。だから知らないことがあったら聞いてくれ」
 やえなが小さく「はい」と頷いた。
「目覚めとは、この世に生きる人間すべてに起こりうる現象だ。そして今生きている人のほとんどは忘れているが、本来はみな、魔族になりうる素質を備えているんだよ」
 相手は驚かない。
「目を、凝らしてみたんだね」
「はい」
 目を凝らす、とは、文字通りよく見ることだけを意味するのではない。魔気に目覚めた者たちのみに通じるもう一つの意味、それを尋ね、やえなも答えた。
 よろしい。
「過去の大戦以来、深い反省として魔法を嫌う風習が根づいた……。が、あんな強大な力を、強欲な人間が簡単に手放せるわけがない。隠れて魔法を使い、それを継承する人たちは一定数いたんだ」
 やえなは真剣な目で聞き入っている。黒曜石のような瞳に、懐かしい表情を探してディムグロウスも見入った。
「君の両親も、まあ……その一種、といったところだ」
 少しだけ、やえなの空気が緩んだ。真実はもう少々複雑なのだが、今はここまで言えばいいだろう。
「だが、人類のすることに完璧はない。魔法を禁じたにもかかわらず、使う人の存在を許してしまったようにね。
 魔法の力を抱え、密かに生きる人たちの中にも例外はない」
「どういうことですか」
「予期せぬ出来事で目覚めを迎え、魔族であることが知られてしまう、ということだ」
 目前の一対の黒曜石に、緊張が浮かんでくる。一見冷たく、動きに乏しいようでいて、その表面の中はこんなにも豊かな世界が広がっているのだ。今も、黒の中に涼やかな緑を輝かせているのが、その証左だ。
「きっかけは人によって違う。元々魔気が微弱な者であれば、突然目覚めてしまうことはない。年長者の指導を得て、こっそりと魔気に目覚めるのが普通だ。だが、生まれつき強力な魔気を持つ者は、自我が安定しないうちから己の力に振りまわされることになる。
 ……君がそうならなかったのは、りくえとゆうはのおかげだ。いつか、礼を言ってやるといい」
 話が見えないのか、やえなは形ばかりの返事をしている。もう一言、必要なようだ。
「つまり、君も強い魔気を宿した者の一人ということだ」
「私の両目は同じ色です」
 きっぱりと否定されたのかと思ったが、目の奥が示す感情は、どこか不安定だ。純粋に疑問に感じているのだとわかって、黒曜石の奥深さにひとりでに笑みが浮かぶ。
「そうだろうか」
「……見たままです。右も、左も、私の目はまっ黒です。黒目と瞳の境が、わからないくらい黒いんです」
 腰を浮かして、テーブルの上に身を乗り出した。顔が自然と寄って、やえなの視線が微かに揺らぐ。
「これぐらい近づいて、それからよくよく観察しないとわからないだろう。君の目は、高位の魔族の証だよ」
 やえなは黙っている。
 静止した二つの黒曜石がそれぞれ秘めた、二つの色合いを順に眺める。どちらも美しい。
「右目が、僅かに緑だ。そして、左目はより透明……空の色だ。自分でも知らなかっただろう?」
 至近距離で息をのまれ、薄い驚愕の表情に勝手な満足を覚える。
「色の差異は個人差による。おれのようにまったく違う色彩で表れてしまうと、不自由をするばかりだ。だから、ここで一人隠れ住んでいる」
 身を引き、自らの目を指さして笑うが、既にやえなは無表情に戻っていた。もう、感情を動かしてはくれないようだ。ディムグロウスは話の筋を修正した。
「目覚めを迎えた者が魔気を制御できず、魔法を人目にさらしてしまったがために迫害され、殺された例は多い。これは昔の話ではないよ」
「聞いたこと……ありませんが」
 当然だ。ディムグロウスはテーブルに視線を落とした。
「恐れるあまり、どの町も村も公にしていないんだ。上から下まで、全員一斉に口をつぐんで、なかったことにしてしまう。魔族を殺したら、呪いがふりかかると信じているのだろうね。まあ、あながち外れでもないが」
「だ……だったら、あれは……あの女の子は……」
「その子のことは知らないが、人から受け入れられている様子だったかい?」
「いいえ」
 即答かつ、力のこもった答えだった。
「やっぱり……私は、危険なんですね」
 ディムグロウスは隠さず、相槌を打った。
「ああ。君自身も、そして周りの人間もね」
 やえなはゆっくりと、無意識にか、再び眠ってしまったレオンハルトへと顔をめぐらせる。
 少年を小屋に運ぶついで、悪いとは思うが読み取ってしまった。典型的な魔法嫌いの人間だ。
 目覚めてしまったやえなの旅には、つきあわせてはいけない存在だ。なのに、突き放せない。
「う……」
 小さな呻きを耳にして、ディムグロウスは立ちあがった。大股で小屋を横切り、ベッドの上で顔をしかめるレオンハルトへ近づく。
 その額に片手を掲げ、思念を送った。眠れ、と。
 少年の身じろぎがぴたりと止まり、顔も静かで落ち着いた表情に戻った。
「魔法はそんなこともできるのですか」
 椅子を倒しそうになったやえなが、慌てて背もたれを押さえる。
「基本的になんでもできるよ。得意不得意は人によるけどね。君の場合は樹木と水の操作だろう」
 再びやえなが首肯する。自覚もできているとは。自力でここまで到達するのは珍しい。
「訓練すれば、火を生み出してたき火を起こすこともできるようになる。……ところで、ピーネイロの本を彼が持っているだろう?」
「え……。そうですけど、問題が?」
 ディムグロウスは眉をくもらせた。
「非常に問題だ。奴らの目から覆い隠す魔法がかけられているが、いったん存在を知られれば奴らが狙ってくるだろう。彼を危険から遠ざけるためにも、是非おれに譲ってほしいんだが……」
「魔法で取ってしまえばいいじゃないですか。記憶を作り変えて」
 あっさりと言うやえなの無邪気さに、苦い笑いがもれる。まるで子供だ。
「勘弁してくれ。魔法が便利だからって、そこまで勝手な真似をする気はない」
 椅子に戻り、再び対話の姿勢になる。まだまだ聞きたいことはあるはずだ。
「……奴らって、何ですか。あの変な魔族のことですか」
 口の端で笑い、軽く顎を撫でた。自然とそういう動作が出てしまうほど、その無知さが微笑ましかったのだ。
「……なるほど。知識は穴がボコボコというわけか。りくえもゆうはも、ちゃんと教えてやればよかったのになあ」
 むっとしたやえなのきつい目つきに、ますます面白さがこみあげてくる。
 レオンハルト少年、もう少し眠っていてくれ。


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