「あいつは、というかあいつらは、一言でいえば敵だ。決して気を許すなよ」
「そんな存在がいるんですか」
 やえなの眉が片方だけ、若干弧を描いて上がる。訝っているようだ。
「ああ。さっき、古代大戦の後で魔法を嫌う文化が生まれたと言っただろう? あいつらはその思想の急先鋒ってところだ」
 ディムは薄いやえなの反応を注意深くうかがいながら、語り続けた。

 奴らは、魔法は人間には不要、過ぎた力と見なして、この世からの撲滅を目指している。
 だがアロイシアスがそうだったように、奴ら自身もまた魔族だ。魔族には魔族をぶつけ、自分と同じ思想を持たない魔族を根絶する。……殺すんだ。
 そして根絶が完了した暁には、同様に自分たちもこの世から消えると言っているが、どうだかと皆は思っている。
 皆というのは、あいつらに属していない魔族のことだ。知ってのとおり、とんでもなく肩身が狭い上に自分たちを殺そうとする輩まではびこってるんでね、自由を求める奴はこうして隠れながら互いに連絡を取り合い、神経を削っているというわけだ。
 アロイシアスは馬鹿馬鹿しい奴だが、魔族としての力は優れている。あいつの魔気が属する事象──得意とする分野は、声だ。自分の声に魔力を込め、相手に語りかける。すると相手は言いなりになってしまうというわけだ。さっきの君も危なかったな。だが素晴らしい抵抗力だった。何も知らずにあれを食らって、逆らうのはなかなか難しい。
 そうだ。あの力を使って、仲間になりそうな新米魔族を引きこみ、配下に加える。それがアロイシアスの主な使命だ。
 まあ、たまに目覚めた者の中には魔族嫌いが染みついてしまって、おれみたいなのから説得しても耳を貸さないのもいる。そういうのは決まって、あいつらの側についた。
 君はもちろん、違うだろう? 君の……あ、いや、自由を愛する素質ってやつだな、そういうのを感じるんだ。……そうだろう、人を殺した挙句、自分たちも死のうなんて狂気の沙汰どころじゃない。
 あいつらは組織だった行動をとっているが、徹底した秘密主義で、外部にもなかなか情報を漏らさない。何人いるのか、組織を作っているならその名前は何なのか、それすらわかっていない。
 だが我々のような目覚めを迎えた者にはとんでもない天敵となる。それは覚えておけ。

 長話が終わり、新しく茶を淹れて一息ついていた時だった。
「何故、隠れなければいけないのでしょうか」
 唐突に、やえなが呟いた。
「どうして、知ってしまっただけで恐れられ、同じはずの人からも迫害されるのでしょうか」
 ディムグロウスは無言で目を伏せた。今まで気の遠くなるような時間、数えきれぬほどの人が、何度も口にした無念を、この旧友の娘もまた辿っている。
「気づかなければよかったんですか。目覚めなければよかったんですか」
 鬱屈した言い方に、本人も驚いていた。こんな激情が我が身に宿っていたとは、彼女自身も知らなかったのだ。
「やえな、落ち着け」
 森と空を秘めた瞳が、ディムグロウスを見つめる。
 無念に落ち過ぎれば、その不満は憎しみとなり、さらには標的を求めて挙句全世界を敵にまわすだろう。怒りという感情は、ぶつける相手を恋するかのように欲する。
 彼は、魔法は人のために使いこなせるという信念のもと、生きている。莫大な素質を持った新顔を、そのようにしてはいけない。
「我々にも理解者はいる。現に、おれとお前は互いに正体を知りながら差別などしていないだろう?」
「……ええ」
「ここだけじゃないぞ。聞いたことはないか? 古代大戦の後、魔族が逃げた先がどこか。あそこにもおれは助けてもらっている」
「空の島……!」
 物静かな声が、焦りでかすれた。やえなは食いつくように身を乗り出した。
「知ってるんですか? 私、子供の頃に一度だけ見て、それからずっと行きたくて仕方なかったんです。どうしてこんなに気になるのか、わからないんですけど、行ってどうするわけでもないのに、すごく……」
「魔気が、求めているんだね」
 やえなの焦燥が、ぴたりと止まった。瞳がまた疑問に細かく揺れている。
「君の魔気の属する事象は、木と水だ。空の浮島は、世界中の木々と水を管理している」
「管理って……世界中……何、言って……」
 ディムグロウスは苦笑した。明らかに情報を詰めこみすぎた。だが、暗い感情からは脱してくれたようだ。案外移り変わりやすいやえなの感情に、安堵の意味でも笑いがこみあげる。
「いきなり言われてものみこめないだろう。その気持ちはわかる。おれも現在の仕組みができる様を始終見てきたが、今でも時々、どうしてあんなことができたのか不思議になる」
「いえ……すごい話なのはもうわかってますから……。私は、だから、空の浮島に行きたい願望が……あると……?」
「そういうことだ」
 ディムグロウスが頷くと、やえなは腑に落ちたように肩を小さく下げた。
「空の島が管理している、というのは……?」
 どう語るべきか、ディムグロウスはしばらく思案しているようだった。やがて、緩やかに語る。
「大戦の後、人々は木を植えて緑の復活を願った。けれどそれだけでは不十分だ。まだ殺しあった名残が穢れた魔気となって世界に充満していたからな。そんなものに、まだ根付いて間もない植物は耐えられない。だから瘴気──穢れた魔気のことだが、これを浄化するために、別の魔気をぶつけて中和していく作業が必要になった。
 しかし、魔法にうんざりした人々は、魔族が力を使うのにいい顔はしない」
「それで作られたのが、島なんですね」
「そうだ。最初は、緑を育てる地上の人、空で瘴気を清める空の人、という単なる住み分けでしかなかったんだ。やがて魔法を禁忌とした地上の人々は、その役割分担を忘れてしまったけどね」
 壮大な歴史物語も交えた解説に、やえなでも微かなため息がもれる。しかも、忘れられ、放棄され、隠された歴史なのだ。
 だが、理解できないわけではない。
 島が管理する。その言葉と結びついて、ディムグロウスの説明はやえなの中にするりと落ちてくる。
「そうなんですか……」
 小声で弱弱しく相槌を打ち、机の上でいじりあう指先を、何ともなしに見つめる。ディムグロウスの色の違う両目が、その少女のような手つきを微笑を続けて見守る。
「今も、そうしているんですか」
 やえなは、目をあげた。彼と同じ、左右で異なるがほとんど同じ黒曜石の色彩でディムグロウスを見据える。
「もちろんだ。人は争う生き物だからな、瘴気が濃くなってきた場所に、密かに降りて争いを止めるよう暗躍することもある」
「ううん……」
 レオンハルトの呻きだった。やえなが上半身で振り向けば、ベッドの上で頭をかき、眉を寄せて、起きあがる寸前だ。
「おっと、お目覚めだな。彼のことは、よくなだめすかしておいてくれよ?」
 そう言って軽く両手をあげて見せるディムグロウスは、またも楽しそうに笑っているのだった。


前へ 次へ
戻る inserted by FC2 system