目を開けたレオンハルトが見たのは、もう見慣れた人物の顔。
 視界いっぱいになるほど、その人は少年にずいと近づいてくる。
「な、なっ、なぁっ!? んだよ! なんだよ!?」
 飛び起きて後ずされば、壁に盛大に頭をぶつける。ドオン、と音がして、これで何度目かと嫌そうなひとり言がレオンハルトにおいうちをかける。
「な、なんだよ、やえな……」
 さして痛まなかった頭を反射でさすり、レオンハルトは無意識に小屋の中を見回す。さすがに二度も同じ場所で目覚めれば、状況はわかっている。
「あいつは……? あの……魔族」
 銀髪の禍々しい目をした男は、そこにはいない。やえながベッドの縁に手を置いたまま、ため息をついた。
「それ、やめてあげて。失礼だから」
 信じがたい言動に、レオンハルトは目の端をつりあげる。起きたばかりの顔に、みるみる赤みがさしていく。
「し、失礼ってなあ……!」
 魔族なんかに。そう言いさした彼を押し切って、やえなは次々と、耳に詰め込むようにして教えてやった。
「あの人、生まれつきそういう目で、苦労してきたんだって。街から迫害されて、ずっとここで隠れて暮らしてる。今はハルトに気を遣って外に出てるけど、ここ、あの人の家だからもう呼ぶね」
 頭を殴られたような衝撃が走って、レオンハルトは言葉を失くした。
 魔法とは関係なく、左右の目の色が異なる人がいることは知らなかった。だが、それ以上に、色彩の変異で罪なく苦しむ人がいるということが、その苦悩を知らなかったことが、何より彼には重く辛かった。
 なんてことを、してしまったのだろう。
 やえなは彼の了承も得ず、恐れていた男を呼び戻しに出てしまったが、自分にはそれを咎める資格もない気がして、レオンハルトは項垂れて二人の足音を待った。

 やはり、見れば震えが走った。
 緑と紫。どちらかに統一されていれば何も問題はないのに、色が違うだけでどうしてこうも委縮してしまうのか。
「あ、あ、あの……すみません、でした。さっきは……。助けてもらったのに、失礼なことして……本当に、すみません」
 目を合わせようにも、異彩に見られるとそれだけで危険な何かを注ぎこまれそうで、ちらりと見やるだけで限界だった。
「気にしないでくれ。もう体は大丈夫かい?」
 大人だが、それほど年をとっている風でもない声は朗らかで、迫害されてきたという過去は想像もつかない。その明るさが、優しくされたことにも加わってレオンハルトには余計に苦しかった。
「はい。ご迷惑おかけしました」
 目を見られないのなら、せめて礼儀正しくしていなければ。折りたたまれたように頭をさげるレオンハルトに、軽い笑い声がかかる。
「そんなにかたくならなくていい。目が怖いのは知っているから、徐々に慣れてくれればいいさ」
 最後の一言に違和感を覚え、顔をあげる。二色の瞳に微笑まれ、ぞっとして視線を師と仰いだ剣士へ向けると、やえなも怪訝そうに男を見ている。
 銀髪の男は楽しそうにやえなに笑いかけると、二人が思いもよらなかったことを提案したのだった。
「君たち、旅剣士だろう。仕事を請け負う気はあるかな?」

 ついていくと言って無理についてきたのは自分だ。
 一方的に人を魔族扱いして失礼な態度をとったのも自分だ。
 だからやえなにも、あの男──ディムグロウスにも文句を垂れる資格はない。
 が、これはあまりに急展開で、なんだか胡散臭くはないだろうか。とレオンハルトは思う。
「なあ、本当に受けちまってよかったのか?」
 何気ない足取りなのに滑るように先へ進む、素早い黒髪を小走りで追う。
「不満があるなら、あそこに残っていていい」
 いつも通りの素っ気ない言い方に、レオンハルトは肩をすくめた。降参するしかない。
「でも、ちょっと怪しいんじゃないかな」
 諦めきれずに一言、言ってみたが、やえなはやっぱり無反応だった。

 ディムグロウスは今でこそ近場の街からそこそこの人望を得ているが、あの山間に住み着いてすぐの頃はかなり恐れられていたらしい。
 悪魔が現れた。街を脅かすかもしれない。呪いをかけるかもしれない。子供たちをさらって食うかもしれない。ありもしないことを噂され、大仰な討伐隊を組織されて取り囲まれたのを説得して、やっとのところで見逃してもらったこともあったとか。
 そんな折、夜更けに、彼の住む小屋の戸を叩く者がいた。
 訝りながらも応対に出たディムグロウスは、外に立っていた小さな女の子たちを見て冷や汗をかいたという。
 姉妹、のようだった。髪の色は違うが、面差しは似ている。草木生い茂る中、歩いてきただろうに二人とも裸足だった。服は粗雑なブラウスとスカートで、汚れもつぎはぎも多く、転んだのか膝にあたる場所は泥だらけだった。
 捨て子。しかも女の。
 女児の扱いなど知らなかったディムグロウスは、絶句してその二人を見下ろすしかできなかった。
 女の子たちは、出てきた大人の目を見て、当然のこと大泣きに泣いた。
 ごめんなさい、食べないで。そればかり繰り返して泣き叫ぶ子供たちを慣れないままになだめ、優しく見えるよう心掛けて笑顔をつくり、目に少しの戸惑いが浮かんだところでゆっくりと抱きしめて敵ではない、食べないと何度も声をかけて、寝てしまうまで玄関であやし続けた。
「ダントツで一番焦った瞬間だったよ」
 語るディムグロウスの顔は、疲労の深い苦笑いを浮かべていた。
 汚れた顔と服を洗い、新しい服を与えて髪を梳いてやれば、子供たちはおやと思うほどに見違えた。濃く鮮やかな色合いの瞳と髪。色は違うのに、二人はやはりとてもよく似ていた。
 一度心を開けば、姉妹はディムグロウスがたじろぐほどに懐いてくれた。
 しかし、親を探しにディムグロウスが街に降りても、誰も知らぬという。その頃には少しずつ人々の態度も変わり始めていた矢先だったから、彼が誘拐したのかと妙なことを勘ぐる者もいて、その説明にも手間がいって実に面倒だったという。
 愚痴を挟みつつ過去を語るディムグロウスに、やえなが本題をと急かす。彼はそろそろだと、相変わらず微笑していた。
「その姉妹は、見目の良さであっという間に街の評判になってね。しばらくして、噂を聞きつけた貴族の家に養子にもらわれていった」
 驚き、目を丸くするレオンハルトにディムグロウスはかえって意外そうに目を瞬かせる。
「どうしたんだ? 身寄りの無い綺麗な子が、後継ぎや子供に恵まれない金持ちに拾われることはよくある」
「でも、ディムさんという保護者がいるじゃないですか」
「おれじゃ、駄目だ」
 レオンハルトは口をつぐんだ。
 魔族、みたいだから。そういうことなのだろう。
「寂しくならなかったんですか?」
「多少はな。でも、彼女たちの人生はおれが決めていいものじゃない」
 神妙に黙りこむレオンハルトから、やえなが視線を外して続きを促す。顔と体ごと向きを変えての、わざとらしい無視の姿勢だった。
「別に生き別れたわけじゃないさ。街を通して手紙をやり取りしてる。その手紙で、ちょっと面倒なお願い事をされてしまってな」
 やえなが少しばかり身を乗り出した。
「古代遺跡の調査に行きたいから、護衛を頼みたいとか」
「はぁ?」
 思わず出してしまった声に、レオンハルトは真っ赤になって平謝りすることになった。


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