「ねえ、あの雑技団見た?」
「見た見た。すごかったよねー」
 浮ついた声で騒ぎながらこちらへ向かってくる若い娘の三人組。賑やかなこの通りではさして目立つものでもないが、この手の華やかな集団はやえなは苦手だ。故郷の少しおしゃべりな娘達とも、19年共に暮らしてきて遂に打ち解けなかったくらいだ。すっと横にずれて、影のように息を潜めてすれ違う。
「でも、ちょっと怖かったかも」
「なんで?」
「だってさ、何やっても絶対落ちないし失敗しないし……完璧すぎでしょ」
「あー、確かにね」
「なんかね、完璧すぎて、まるで魔法みたいって……」
「ちょっと、やだー! 滅多な事言うもんじゃありませんっ!」
「ごめーん!」
 口調はおどけているが、声色は明らかに辺りをはばかるような必死さが漂っている。周囲を歩いていた人も、例外なくぎょっとした目を彼女たちに向けた。話好きそうな妙齢の人々など、こそこそと噂話まで始めている。他愛ない少女たちの感想が、こじゃれた石造りの道を一瞬で緊迫感に満ちた別の何かに変えてしまったのだ。
 何気ない顔で歩きながら、人々の強力な変化にやえなは僅かに目を見開く。
(これじゃその雑技団も、この町にはいられないだろうな……)
 世界中で魔法が名すら恐れられる禁術とは教わっていたものの、初めて外界の人間が恐れる様を見ると、ため息がもれた。
 古代大戦で世界を滅ぼした魔法、それを伝承するこの世界。知っていた。知っていたが、これほど激しい拒否反応があるとは。
 ともあれ、手早く港に向かうつもりだったが、予定変更である。


 幸いにもそれと分かる人の流れがあった。先程の少女たちは雑技団の観客の流れの先頭を歩いていたのだ。
 腰にさげた剣を抑えながら、足早にその人波に逆らって歩く。魔法云々の噂が広まっては、まだ見ぬ彼らも商売にならないだろう。引き上げられない内にこの目で確かめ、話を聞いてみなければ。
「あの演技、完璧だったね!」
「剣の刃に素足で乗った時なんか目を覆っちゃったのにね」
「あれはどうやってるんだろうな」
 聞こえてくる賞讃の声に必ず混じっているのは、完璧の言葉。一つの会話に必ず一度は出てくる言葉に妙な引っ掛かりを覚える。全くの別人が一様に同じ語彙を使うなど、そうよくある事ではない。しかしそれについて深く考えるより先に、あさっての方向に手を引き込まれた。
「わっ……」
「マギの広場に向かうならこっちの道の方が早いよ!」
 何をする、と苦情を言う間もなく、ぐいぐいと手を引いて細い裏道を行くのはやえなより目線一つ分は低い少年だった。枯れ枝のように細いやえなの手首を掴んで、少年の指は長さが余ってしっかりと一周してしまっている。
「余程大事な用があるんだろ? 連れてってあげる代わりにさ、頼まれごと聞いてくれよ!」
 快活なのか傲慢なのか、とにかく邪気の無い笑みで小道の向こうを指さす少年に、やえなは瞬く間にうんざりとなった。
「あの……」
「あんた剣士なんだろ? 腕一本で世界中を渡り歩くっていうやつ! かっこいいよな!」
 世間一般には、旅剣士と呼ばれる者は行く先々で信条も信念も問わず雇われ、護衛や傭兵だけでなく暗殺さえもこなす血なまぐさい所業で名声を上げている輩が少なくない。が、幸か不幸かそのような世界の汚れなど二人の頭の中にはなかった。一方は最後のチャンスと見た興奮にあてられ、もう一方は剣士と呼ばれる者達の真実も知らずに、怜悧そうな目を不快げに細めただけだった。
 彼女は、自分のペースを崩される事を極度に嫌う人間である。もはや面倒としか感じなかったやえなは、引かれながら適当な相槌を打つ。
「それが?」
 その一言が決まりとでも言うような思い切った停止だった。
 急に立ち止まって振り返った少年の額に、つんのめった彼女も頭突きを食らわしそうになってお互い慌てて距離をとる。が、少年はやえなの手を掴んだままだ。
「俺を連れてってくれ! 剣の腕を磨いて強くなりたい!」
 は? とぼけた声を上げる寸前になって、やえなはがちっと顎を閉じた。
「剣なら家から持ってきた! 家族にはいつ出てもおかしくないって言ってある! 俺は強くなりたいんだ! 最近東の大陸の戦争のせいで強そうな奴が家の宿にも来ないんだよ、頼む!」
 最後の、そこはかとなく失礼な物言いに眉を顰めたが、今の彼女には他人の勝手な頼みに構っている暇などない。さすがに心が痛むも、背に腹は代えられないといったところか。
「ごめん」
 聴かせるつもりもない声量でささやくと、少年が懇願するように目を見開いて顔色をうかがってくる。掴まれた腕を突如引き寄せ、つられてきた少年の体に膝をめり込ませた。長い脚の、細身のために尖った膝蹴りをまともに受けた彼の空色の目が曇った。
「うぐっ……!」
 手を掴む力が緩んだ隙を逃さず振り払うと、赤茶けた道路の先に見える広場を目指し走り出した。
「ごめんね」
 再び謝るも、恐らく膝をついた彼の耳には届いていないだろう。
 外道と罵られれば弁解のしようもない振る舞いだが、やえなの足はもう止まらなかった。


 両隣に迫る壁がひらけ、くすんだ赤い広場の中央にある噴水の前に店じまいをする一団があった。既に組み立て式の店は骨組みも取り払われ、直ぐにでも発ってしまいそうな様子でさえある。しかしそれを見つけた瞬間、やえなの中に間に合ったという安堵が広がった。
「おや、もう全ての演技は終わってしまったんですよ。ごめんなさいね」
 近づくと、黄色と茶色の一際派手な服装の男性が声をかけてきた。人目でわかる、雑技団の座長だ。
「いえ、それより……」
 本題をきり出そうとして、やえなは言葉に詰まった。バカ正直に魔法を使っているのか、なんて口にすれば相手の逆鱗に触れかねない。外の世界が悪魔の法をどう扱っているか、先程の空気の豹変で十分にわかっていた。
 一瞬のためらいを突くように、座長は顎に手を当てて妙な事をつぶやいた。
「ふむ、やはり『素質』が……」
「え?」
 短く聞き返すと、そこにはついさっきまであった人の良い笑顔が厳めしげに皺を寄せている。
「いえいえ、血は争えんという事です」
「……どういう事でしょうか。父を知っていると?」
 やえなは出発前の朝の会話を思い出していた。山奥の小さな里から一度も出た事がない父が、何故か知っている外国の名、人の名。もしやこの男は、見知らぬ他人の振りをして父と共謀しているのだろうか。
「いえ、こちらの話です。そうですか、……と……の。しかし何故お一人で旅になど?」
 流れるように答えを出しかけて、やえなは息をのんで眼を光らせた。この男はやはり父とグルになって自分に何かをやらせようとしているのだ。父からの試練を乗り越えようやく自由になった自分に、勝手な事情で用事か何かを押し付けるつもりだ。
 平素は恨めしく思う自分の目つきの悪さを、この時はここぞとばかりに発揮して座長を睨む。
「一人旅だとどうして知ってるのでしょうか」
「ああいやいや、独り言です。聞こえていたのなら謝ります。ごめんなさい」
「父とはどういう関わりで?」
「その前に何故お一人で旅に? あなたはまだ……受けられていないようですが」
「??」
 どうも受け答えになっていない。なのにいささかの怒気もわかないのは、この男の真剣過ぎる空気に全て受け流されてしまうからか。怒る気も失せてしまう自分に対し、もどかしさが募る。
「何を受けているですって?」
「ああ、やはりですか。あなたのお父様は一体どういうお考えで、そのままのあなたを外に出したのかわかりませんが……」
 彼の言葉に深い意味があるのはわかるが、やえなにはやはり、何の話をしているのかわからない。
「父も、今の私にはわからないだろうと言っていましたが……あなたと父にどういう関係が?」
 同じ質問を繰り返すが、それでも座長は答えない。考え込むようにしばらく視線を斜めに逃がしていたが、ふと思いついたようにやえなの目を真っ直ぐに見つめた。そして棒切れのように細い彼女の手を取り両手で包む。
「彼らの子である以上、何も知らずに世界に飛び出すのはあまりに勿体無い事です。
 ……大丈夫、また私達はどこかで会えますよ。必ずね」
 覗き込むと言っても間違いではない程の、至近距離からの他人の視線。やえなは無意識に背をそらせた。唐突な接触にも思わず身を引いてしまうような圧迫感を感じたが、振り払うのを堪えたのは手指から伝わる例の違和感のためだ。彼らの噂を聞きつける直前、道で視線を感じた時に飛来した違和感と全く同じなのだ。ただ、今回は獣の赤子を抱いているような温かさを伴ってやえなの中に訴えかけてくる。
 やはり、この人には。
「あなたは……」
 魔法を知っているのか。そう尋ねるよりも、彼の動きの方がずっと早かった。手を離して「それでは」と言って、既に片づいた一団の後を追う。その一連の動作をやえなは呆けたように見つめていた。手を掴んで止めようと思えばできたはずだが、何故かやえなの体は動かなかった。
 一人残された彼女は、周囲の不思議そうな目にも気づかず立ち尽くす。
(……魔法使い? でもなんでこんなところに……)
 忌み嫌われ、恐れられる悪魔の法の使い手。彼がそれであるとするなら、何故人であふれかえるこの街を訪れたのか。何故雑技団の座長などしている。頭の回転が酷く緩慢になり、考えがまとまらない。
 ともあれ追いかけなければ、と走り出す矢先、背中に軽い衝撃が走った。
「やーっと追いついた!」
「うわ……」
 ぱしんと背中を叩いたのは、先程の少年だ。まだついてくるつもりらしい。やえなの苦々しい顔に気づかないのか無視しているのか、彼はあの快活な笑顔を向ける。
「俺だって、ちょっと蹴られたぐらいで諦めるほどヤワな決意じゃないんだよ! いいって言うまでついて行くからな!」
「…………」
 帰れ。そんな一言を呑みこんだやえなは再度、未知の人間との鬼ごっこに興じる事になった。


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