どうしてこうなった。
 これまでの生涯で、これほど理不尽な思いをさせられたことはない。
 きゃらきゃらと笑いながら周囲を歩きまわる姉妹を、やえなは諦めの境地で眺める。
「このピアスどう? 似合うんじゃないかな」
 マンダリーヌが持つ小さな針に、これまた小さな宝石がついている。服に刺すにしても大きさが足りない。
「それ、どうやって……」
「無理よ。やえな、耳たぶに穴開けてないわ。こっちは?」
 さらりと体に穴を穿つだのなんだのと言われて、やえなは心持ちぎょっとして身を引いた。優雅な姉妹は気づいた様子もなく、山のようになった様々な化粧箱から新しい何かを取り出しては戻しを繰り返す。
 飾られる本人を無視して、装身具を品定めしている。やえなは姉妹の奔放さにまたため息をつく代わりに、肩をすとんと落として天井に視線を逃がした。

 仕事、と確かにディムグロウスは言っていた。マンダリーヌも承知していた。が、あまりに色々と、簡単すぎるんじゃないかということは、やえなでもわかる。
「これから古い時代の遺跡調査に行くのだけど、道中見知った人だけじゃ退屈だし、ちょっと遠出になるから警護もお願いしたいの」
 依頼らしい言葉といえば、姉のエカルラートが発したこの一言だけ。要するに、お話相手と用心棒が欲しいのだろう。門兵の男の話を信じるなら、この姉の方は腕が立つようだから、実質は前者だけのために呼び出されたと言ってもいい。のどかな話だ。
「お金はまず出発日に三分の一、目的地に着いたらまた三分の一、戻ってきたら最後の分を渡すね! ちょっとずつの方が真面目にやってくれるってみんな言うから、ごめんなさいだけどこれで我慢してね?」
 マンダリーヌの自由な言い方が場の笑いを誘う。やえなは笑わなかったが、足元を見ています、と笑顔で言い放つ豪胆さが不快ではなく心地よかった。
「貴族のお嬢様がそろって遺跡に興味を持つなんて、周りから止められたんじゃないですか?」
 美女と美少女を前に恐縮していたレオンハルトもようやくいつもの調子を取り戻し、やや踏みこんだことを聞く。後から思えば、これが雑談ひいては今の状況のきっかけだった。
「ええ、それはもう最初は特にね」
「でも今は全然。諦められちゃった!」
「あ、諦められたんですか?」
「お義父様がね、別にまた養子を迎えられたらしいの。遠縁の御子息を説得して、ようやく来てもらったらしくてね」
「だったら私たち別にいなくてもいいじゃん! って思って勝手にディムさんのとこに帰ろうとしたんだけど、わざわざこのお邸までくれて、いてくれって頼まれたの」
「ええと……それって……」
「わけわかんないでしょ? ……ま、わかんないふりでいい暮らしできるなら、頭悪いふりぐらいいくらでもするけどね」
「私たちに何かできる人なんていませんものね、ふふ」
 レオンハルトは困惑し、やえなは強い目でエカルラートの毒っぽさのある微笑を睨む。
 深紅の瞳が、やえなの黒い瞳とかち合った。
「それより、これからしばらく一緒に行動することを考えると……身なりは大事よね?」
「…………」
 どういう話の転換だ、と思わないこともないが、着飾ることは昔から苦手だ。やえなは黙っているしかできない。
「いいえ、それ以上に、あなたってすごく勿体ないと思うのよね」
「あ、わかる。せっかくのすらっとした印象、自分で潰しちゃってる感じ」
 マンダリーヌも同調し、異様な空気が生まれる。
「な、何を、何を言ってるんですか」
 座っていた上質なソファのせいで踏ん張りがきかず、立ちあがるだけの動作にまごついた。やえなが、である。
 その微かな失態にレオンハルトは驚いたようだったが、しくじったのは彼も同じかもしれない。いつの間に近づいていたのか、マンダリーヌのすらりとした手がレオンハルトの肩にぽんと触れた。
「レオン、君もしてみる?」
「な、何を?」
 激震するほどの動揺は明らかなのに、レオンハルトは平気な顔を取り繕う。そんな浅はかな見栄をかわいがる淑女のような笑みで、マンダリーヌは言ってのけた。
「レオンももったいない。だからやえなと一緒に見てあげる」
 唖然となったレオンハルトに、とどめの一撃が加えられた。
「男の子のおしゃれを手伝うの、私初めて!」

 レオンハルトを恨む気持ちはない。あの強引な話の持っていき方から考えても、大人しくしていようが人形遊びに利用される流れは変わらなかっただろう。
 だから、やえなは耐えた。少しでも早くこの無意味な遊びが終わることをひたすら願い、ただただ座って髪をいじられ、服をあてられ、好き勝手な品評を言われつづけた。
「さて、髪はどうしましょうか……」
 あまりの長さのため後回しにされていた黒髪に、エカルラートの指が絡む。隣室でレオンハルトを担当していたマンダリーヌがちょうど部屋に入ってきて、興味深そうにやえなを見つめる。
「わあ、かっこいい! まさに女剣士って感じだね!」
「……どうも」
 この時のやえなは既に一度立たされ、カーテンを垂らして作った仕切りの内側に押し込まれ、隙間から服を渡されて着替えを強制されていた。恐らく、これで一気に抗う気が萎えた。
 今のやえなは普段のベストに長衣ではなく、薄いスラックスの上に固くぱっきりとした質感の長いスカートらしき布、上半身はすっきりとしわ一つない細身で簡素なブラウスという一新した格好だ。
「ほんと、髪すっごく長いよね。ここまでのびる人珍しいんじゃない? 私ものばしてるけど、こんなに長くなったことないもん」
「ある程度のびたら、それ以上長くならない人もいるそうよ」
「そうなの?」
「適当に言っただけよ、おバカさん」
「お姉ちゃん!」
 しんどい、とはこういう気持ちなのだろう。やえなは重々しく目を閉じる。
 エカルラートが一度やえなの黒髪から手を離し、ふわりとした動きで距離をとり、新しい服を着た全身を眺める。
「うん、ちょっと地味すぎちゃうから、やっぱり髪は結んだ方がいいわね」
 地味でいい、もうこれでいい。抗議の思いは、胸でくすぶって口まであがってこない。心底、辟易してしまっている。
「あはは、やえなさん、嫌そうな顔! あっと、いけない。さっさと服もらって戻るね、レオンが寂しがっちゃう」
 マンダリーヌは無言で髪を任せるやえなの横を通り抜け、散らばった化粧箱の間を、長い服の裾をひっかけることなく進んでいく。前の鏡に映っていた後ろ姿が、小さな扉の向こうへ消えて見えなくなった。
 自らも髪をまとめているエカルラートは、人の髪を結ぶことにも熟達しているようだった。その器用さには、素直に感心する。
 頭から櫛を通した髪がみるみる後頭部の上の方に集められ、重みが集中していく。
「団子みたいにするのは好きじゃありません」
 注文をつけると、エカルラートは気分を害したふうもなく「じゃあ垂らしましょうか?」とはらりと毛先を手放す。やえな自身もたまにする、一つ結びだ。
「どうしても髪に手をつけるなら、これが一番いいですね」
「うーん、私はもうちょっと工夫したいんだけど……」
「これでいいです」
 というより、これ以上見た目を変えられるのはなんだか不安だった。大きな鏡に映る自分の姿は、とっくに別人のようになっている。
「慣れた格好でないと、仕事に支障が出ます。お二人も困るでしょう」
「平気よ、そんなに危ない道通るわけじゃないし……そうね……」
 何を思いついたか、エカルラートはやえなの髪を固定したまま、一方の手をのばして背後の化粧箱を探りはじめた。
 恐らく化粧箱と呼ぶものであっているのだろうが、今の部屋はそういった箱が散乱していて、まるで大量のごみ入れがひっくり返っているみたいだ。やえなが見たこともない化粧の道具、まぶたにまぶすとかいうきつい色の粉などはまだわかる。別の箱にはどこからどう集めたのやら、ネックレスにブレスレットがあふれんばかりだし、引き出しがついている箱は指輪の保管場所になっている。当然、中身は宝石づくしで見るだけで目が痛い。きらびやかな装飾品は華やかだが、こんなに持ってどうするのだろう。全部をつける機会などまわってこないことは、容易く想像がつく。
 ともあれ、大らかな姉妹は、整理整頓の概念は持たない主義らしい。あるいは、これでも一般的に見れば整理されている方なのか、やえなにはわからなかった。
 まとめた髪の根元に、ぐるぐると紐が巻きつけられる。ここで留めるのだろうと特に感想もなくじっとしていると、今度は何かを取り出す固い物音がして、流れ落ちる髪の束に何かをされている気配がする。
「ちょっと待って……何してるんですか」
 鏡をよく見ていなかったので、エカルラートが取り出したものが見えなかった。慣れない感触にほのかな不信が募る。
「動かないで」
 言われずとも、やえなは静止を続けている。髪を触られている時に動けば、自分が痛い思いをするだけだ。
「何をしているのかぐらい、教えてくれても……」
「もっと素敵にしてるのよ」
 答えになっていない。何度目かの反駁をのみこみ、許可が出てようやく顔を横に向けて髪を見た。
 髪に銀糸が巻きつき、螺旋を描いて黒髪を飾っている。途中の微細な銀の輪には、ところどころ白銀の石が輝いて眩しい。
「これ……」
「アンクレットにしたかったのを、やめてそのままの長さでもらったものなの。いつか何かの役に立つかと思って」
 いったいどこの誰が宝石ごとこんな繊細な飾りを人にやるのか、想像もつかない。
 呆然と髪を触っていると、鏡の中のエカルラートが、少女のような大きな笑顔になった。
「気に入った? よかった、やっぱり女の子ね」
 むっと無表情に戻るやえなを、エカルラートはなおも微笑ましく見つめる。鏡越しの視線が、やえなには痒かった。
「綺麗よ。でもダイヤは取っておいた方がいいわ。狙われるから」
「ええ、そうしたいのですが……」
「そのままでいいわ、私がとるから」
 甲斐甲斐しく世話を焼かれることにも、だんだん抵抗がなくなってきた。
 やえなは鏡に映った、自分の髪に集中するエカルラートの目を盗み見る。恐らく同い年程度とは思えない、大人びた美貌だった。
 着替えの前、ネックレスを勧められて顔を寄せる瞬間があった。間近で見た姉妹の姉は目尻がぴんと上を向いていて、そこだけを見るといやに幼く見えてやえなはたじろいだ。豊かな髪も一本一本が細く、大人よりも子供の髪質に近い気がした。
 思っていたより、年上ではないと感じた。
 落ち着いていて、自由で、優雅で、無邪気。自分とも故郷の娘たちとも、まったく違う。
 都会的な同年代の女性は、ようやく現れたマンダリーヌに優しく咎めるような声をかける。
「そんなに一杯持っていって、全部試すまでお着替えさせるつもり?」
 マンダリーヌの両腕からは、服の袖やら裾と思しき布がいくつもこぼれている。
「レオンにも選んでもらって、数をしぼってから着てもらうの!」
 目の前がほとんどふさがっているにもかかわらず、マンダリーヌは軽やかな足取りで出入口へと向かう。部屋は相も変わらず雑然としていたが、つまづく兆しすら見せない、滑るような動作だった。
「ほんと、やんちゃな子よね」
 妹を見送り、銀糸から宝石を取り除いたエカルラートは思いもしないことを言ってやえなの目を瞬かせた。
「それ、全部もらっていいわよ」
 服のことだろうか。
「出発の日も、着てきてちょうだいね。もちろん髪もこれでね?」
 返事もしない間にエカルラートは仕事着まで指定してくる始末。だが、その勝手にも苛立ちはわかない。
「……雇い主のお言葉なら」
 実際のところ、この服装も悪くないと思っている自分がいたのだ。元の服から構造が大きく変わらないよう気を遣ってくれたのがわかるし、軽装になった分、保証すると言われた動きやすさは申し分ない。強引なようでいて、考えてくれている。
「ありがとう。レオンハルトも見違えると思うわ」
 隣室で妹の方に遊ばれているレオンハルトは、もっと恐縮して翻弄されているに違いない。幸いに悪趣味ではない姉妹なので、珍妙な恰好をさせられることはないだろう。が、積極的な少女と二人きりの状況に緊張する少年が簡単に想起され、やえなは幻のように僅かな微笑を浮かべた。

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