「あ、え……と……」
 しどろもどろになって、レオンハルトは服を変えたやえなと対面する。自分もまた衣替えをしているから、気まずさは相当なものだっただろう。やえなはまったくの無反応だったが。
 レオンハルトの服装は、小ぎれいながらも多少剣士らしさを思わせるものになっていた。固い生地の、暗い緑の長袖のベストは利き腕が肩の部分からなくなっており、下に着た長袖のシャツの淡い黄色がのぞく。ベストは背中側だけ丈が長いので、座る時に便利そうだなとやえなはぼんやりと考えた。
 布地の少なくなった右手は、肘から先にグローブのようなものをつけている。何と呼ぶものかは知らない。やえなは素手で剣を扱うのが普通だと思っていたし、怪我をしてもぼろ布を手に巻く程度だ。守りのためとはいえ、手に何かをくっつけるのは性に合わない。「お姉ちゃんのお古」と呼んでいたから、エカルラートの剣術の道具なのだろう。レオンハルトの腕にもはまるということは、大きさの調整がきくつくりのようだ。
 腰から下は、ベストよりもずっと濃い色で細身のトラウザーに新調され、案外すらりとした線の細さが際立つ。鍛えたい年頃の本人にとっては恥ずかしいかもしれないが、そこはマンダリーヌに押し切られたのだろう。
「ああいう雰囲気にしてあげた方がよかった?」
 マンダリーヌの片付けを手伝うレオンハルトを見ていると、エカルラートが密やかに尋ねてきた。
「……これで満足しています」
 そうでも言わなければ、また延々着せ替え人形にされる予感がする。
「ありがとう」
 晴れやかなお礼の言葉が、うすら寒かった。

 そんなやり取りを最後に解散、そして再度集合した出発の日、二人は完璧な準備を済ませて剣士たちを待っていた。
 姉妹が移動に選んだ馬車は、本人たちの華やかさとはかけ離れた簡素で地味なもので、野盗の存在をよく心得ていることが感じられた。服装もさっぱりしたパンツルックで、ジャケットもよく似合う。エカルラートは高い位置で結んだやえなとお揃いの髪型にしていて、マンダリーヌはうなじで一つ結びのレオンハルトとお揃いだ。やえなはいたずらめいた笑顔で髪型を合わせてきた姉妹に何の遊びかと思ったものの、何も言わなかった。猫のような二人のこと、きっと気まぐれにすぎないのだから。
 むしろエカルラートが腰に吊るした、細く長い剣に興味がわいた。
 この令嬢はどれだけできるのだろう。
 剣を打ちあわせる夢想を描きかけたところで、馬車の中へ促されて想像は霧散した。
「じゃ、しゅっぱーつ!」
 気が抜けるマンダリーヌの歓声に応じたのは、決まり悪そうに空へのばされたレオンハルトの拳だけだった。寂しい反応を本人はまったく気にしていないようで、にこにこ笑っていた。
 轍のくっきり残る道を行き、やがて森に入った。左右に広がる林に木漏れ日の淡さが浮きあがり、くっきりとした光の線が見える。故郷では聞かない野鳥の声に知らない鳥の姿を思い描き、初めてかぐ木々の湿気を口を閉ざしたままで吸い込む。未知の土地に来た、ということを森の違いで強く実感する。
「慣れてるんですね、お出かけ」
 のどかな空気に拍子抜けを過ぎて飽きた頃、やえなは前で手綱をとるエカルラートに話しかけた。護衛の剣士のやえながまるで客人のように馬車の中にいるのは、決して怠慢ではない。それぐらいはできるからと申し出ても、案外お転婆な姉は先頭の席を譲らなかったのだ。
「ええ。今の生活になって長いから。あなたも旅に出て長いの?」
 自身のことに踏みこまれ、面食らう。しかし雑談を仕掛けたのは自分なのだから、質問を返されるのは自然の流れだ。
 やえなは目を瞬いた。自分が、しなくてもいい会話を始めた。他人に深い関心を持たないと自己評価していたのだが。
「……全然です。本当は、もっと早く出立できる予定だったんですけど思わぬ障害がありまして」
「まあ、興味をそそられる言い方ね。何かしら、障害って」
 振動と車輪が転がる音が、心地いい。エカルラートのふわりとした髪が風に吹かれて、馬車の中に向かって揺れているのをやえなは無意識のうちに見つめた。自分にはない、柔らかな線と優しい赤が目に新しい。
「父が、自分を倒してから行けと言っただけのことです」
「あらあら、お父様はあなたが大事だったのね」
「よしてください」
 やえなは微細に顔をしかめた。
「そんなものじゃないんです。刀剣に目がない人で、きっと手合わせの相手に飢えてたんですよ。それまで集めて見るばかりだったので、あそこまで強いとは思わなくて……」
 そういえば、あの閉鎖的な空間で、どうやって父はあれだけの強さを保っていたのだろう。集落を守るための見回りに行くことはたびたびだったが、そこで剣を振るうのはあまり見たことがない。他の人の前では機会があったのかもしれないが、生憎誰かとの世間話はやえなの日常に刻まれていなかった。なんであれ、父はいつでも手加減していて、本気など出したこともないのではないか。
 やえなが初めて勝ったあの時さえも?
「そう。そんなに強いお父様から、あなたは旅を勝ち取ったのね」
「年単位の戦いでした」
 浮かんだ疑問は胸にしまい、今の会話を続ける。目的のない話は苦手だったが、エカルラートとなら苦にならなかった。
「すごいじゃない。私だったらそんなに長い間、一つのことに挑み続けるなんて、とてもできないわ」
「ですが、エカルラートさんも長い間頑張らないと身につかないものを持ってますよね」
「あらそう? 例えば?」
「剣」
 彼女の腕前をうかがう好機と思ったが、エカルラートは剣を抜き払うことに心を動かされた様子はない。
「え? 見せたことあったかしら?」
 むしろ初対面から今までのやり取りに興味がわいたようだ。くるりと首を巡らせて、やえなを見る。
「門番の方が、言ってました。その辺の剣士より強いと」
「いやあね、人のうわさ話なんてあてにならないものよ」
「ではその剣は飾りでしたか」
 よくない言葉選びのせいで高圧的に聞こえる尋ね方だったが、察してくれたか悠然とした笑みは崩れない。
「私が剣術をするのは本当。でも人並み以上なんて過大評価よ。ご期待には沿えないわ」
 前を向いて視線を外され、ばつの悪さを感じて、言うべきことも見つからないままやえなは口を開いた。
「私は、別に……」
「気にしないで。気分を害したわけじゃないもの。ただ、私はあなたほど強くないのは確かだから、つまらない思いをさせてしまうだけよ。私だって、恥ずかしいわ」
 いかにも建前めいた理由だが、では本当のところはどうなのかは、わからない。単に剣術を披露したくないのかもしれない。
「……残念ですが、だったら無理にとは言いません」
「そんなに露骨にがっかりなさらないで。競おうとは言わないけど、まだ他にも共通点はあるじゃないの。あなたは水と木。私はこれ」
 強引な話の転換に戸惑う間にエカルラートはまた顔だけでやえなを振り返り、ぱちりと片目を閉じて見せる。降りたまぶたの横で、火花のような光が散った。
 驚きと焦りを同時に覚え、やえなは思わず馬車の後方を見やる。
 レオンハルトはこちらにはまるっきり背を向けていた。後ろの縁からマンダリーヌと並んで足をぶらつかせて、何か話している。たじたじした態度が取れた彼は楽しそうで、少女との会話に夢中だ。
「……危ないですよ」
 あの常識人に、突然そんなものを見せては大騒ぎされるに決まっている。呆れたやえなの注意にも、自由な姉は微笑むばかり。
「あなたといる限り、いずれ知らなければならないものよ」
 言葉に詰まり、反論が封じられたように出てこない。気づいた、いや、彼女から指摘された気がしたせいだ。
 言われた通り、いずれ知らせる時が来る。でも、やえなだったら、レオンハルトに誤解も恐怖も与えずに魔法を説明するなどできない。
「ただ、あの子の場合は受け入れさせるには慎重さがいって、ちょっと難しいわね」
 再び前を向いたエカルラートの親のような言い方があまりに落ち着いていて、目では感じない眩しさをもたらす。
「あなたは……」
 どうやって目覚めたのか。尋ねようとした瞬間、エカルラートの肩がぎゅっと強張った。車輪の音が止まる。

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